第11候【桜始めて開く】

こんばんは☆
本日3月25日~29日までが春分・次候【桜始めて開く】です。
今年は、「始めて開く」どころか、東京では木によってはもう満開をむかえている桜もありますね。
新しい季節に対する期待に人々の気持ちは高まり、日本中が待ち焦がれていたときの到来です。
口を開けば花見の計画が話題にのぼり、世間には不思議な高揚感が漂います。
今日は、塾のある世田谷区経堂のすずらん通りをひたすらまっすぐ行ったところにある経堂小学校の卒業式だと、塾に来ている生徒さんから聞きましたので、先日の赤堤小学校に続いて塾のチラシとボールペンを渡しに行ってきました。
経堂小学校の校庭の桜は、まだ三分咲き、五分咲きといったところでしたが、天候に恵まれて、素晴らしい卒業式日和でした。
多くのご父兄が、桜の下、我が子の写真を撮っている姿は、見ているこちらまで胸にこみあげてくるものがあります。
日本人に一番愛されている花が桜ですよね。
古来、日本において「花」といったら桜のことです。「お花見」と言っただけで、桜の花を観に行くことに決まっています。
「いろいろの こと思い出す 桜かな」(芭蕉)
桜の季節は、出会いと別れの季節です。
卒業式・入学式があったり、クラス替えがあったり。。
桜を見ると、いろんな思い出がよみがえってきませんか。
まっさらなランドセルを背負って、「ランドセルが歩いているみたい」と家族に笑われながら、近所のお兄さんお姉さんに連れられて、集団登校で小学校に通ったのが、脳裏に焼きついています。
それから、はや何年が経ったことでしょう。素敵な出会いも沢山ありましたが、悲しいさみしい別れも何度もありました。
会うは別れのはじめ。別れのない出会いはありません。
仏教ではこれを「会者定離」と言われます。
出会ったからには必ず別れる時がやってくる、それがこの世の定めである、ということです。
日本人は昔から桜の花に心を託して、会者定離・諸行無常の真実をうたってきました。
「花の色は うつりにけりな いたずらに 我が身よにふる ながめせしまに」(小野小町)
すべてのことは続きません。小野小町といえば、絶世の美人として有名ですが、そんな人にも必ず老いはやってきます。
そんなこと当たり前ではないか。ことさらに強調すべきことでもなかろう、とみんな思うかもしれません。しかし「自分がこれだけは変わって欲しくない、と思っているものも例外なく無常なんだよ」と言われると大変苦しいものがあります。
どうでもいいものならいざ知らず、自分の大切なものが変わってゆくというのは耐えられません。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)
これは、平安時代のプレイボーイであった業平が、「桜の花が咲いてるから、心穏やかに安らげない。この世の中に桜がなくなれば、こんな気持ちにはならないのに…」という心情をうたった歌です。
桜が好きで、ずっと見ていたいのに、ちょっとの風や雨で散ってしまう桜が心配でならない。心がのどかになれない、という心をうたったものだといわれます。
私たちも、いいものを手に入れると、いろいろ心配がつきまとうようになります。桜がなければないで悲しい。あればまた心穏やかでない。
今は崩れていないけれどもいつか崩れてしまうのではないか、と思うと、今から苦しくなってしまう、という風情を感じますね。
古歌だけではなく、現代の歌にも、
「桜、桜、今咲き誇る、刹那に散り行くさだめを知って」(森山直太郎)
が記憶に残っています。
桜舞い散るこの季節に、私にとっての「一切の滅びる中に滅びざる真実」とは何か、真剣に考えるべきではないでしょうか。
それを見つけるためにしっかりと学ぶ場が、「人生」と言えます。
しっかりと自己を見つめていけば、それは必ず見つかるはずです。
…ということを教えるのが仏教でもあります。
今日はなんだか重たくなってしまいましたが、この辺で…。
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