第14候【雁北へ帰る】

こんばんは☆今日から清明・次候【雁北へ帰る】になります。

コロナの問題で、世の中に得体の知れない重い空気が漂い、大人も子どももストレスが増していることを、塾に居ても商店街に出ても感じていますが、そんなときこそ空を見上げて、季節を感じたいものです。

昨日までの清明・初候【つばめ来る】は、南方から夏鳥であるつばめが飛来する時季ということで、「つばめが来ると本格的な春と農耕の季節がはじまる」と言われ、つばめは春の象徴です。

そのつばめの飛来と入れ替わりに、冬を日本で過ごした雁が北へと帰っていく姿が見られるのがこの時季です。

群れをなして連なって飛び去っていくその様子は、昔から季節をあわらす鳥として文学の上でも親しまれ、多くの詩歌にも詠まれています。

以前、講演で東北を回っていたころ、冬の象徴である白鳥が、来た時は「クワックワッ」という鳴き声から「今年も白鳥が来る季節になったか」と気付くのですが、去る時はいつの間にか見えなくなっていたことを思い出します。今年もそろそろシベリアに帰っていったでしょうか。

さて、前回の【つばめ来る】のときに記した仏教の話も少し続けます。

仏教で最大のテーマと言ってもよい「万人共通の(万人が達成できる)人生の目的」とはどんなことなのでしょうか?

それを知るには、“人生の目的”と勘違いしやすい“生きがい・目標”との違いを明確にする必要があると、親鸞聖人(私の専門は親鸞)は教えておられます。

その主著は、哲学者たちから支持されていることで有名な『教行信証』ですが、その中に次のような一文があります。

●真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す(『教行信証・真仏土巻』)

「真仮を知らざる」とは、真(=人生の目的)と仮(=趣味や生きがい、目標)との違いを知らない、ということです。

人生の目的を知らないから、“人間に生まれてよかった”という生命の歓喜がないことを、「如来広大の恩徳を迷失す」と言われています。

“真”とは「人生の目的」であり、“仮”とは、生きがいや趣味、目標などの「生きる手段」のこと。

「目的」と「手段」の区別がつかないことを、「真仮を知らざる」と言い、生命の大歓喜のないのを「如来広大の恩徳を迷失す」と言われています。

かなり難しい話になってしまいましたが、なるべく分かりやすくなるように心がけますので、どうかしばらくお付き合いください。

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