第5候【霞はじめてたなびく】
第5候【霞はじめてたなびく】
おはようございます。東京は気持ちよく晴れていますね。
さて、今日から雨水・次候の【霞はじめてたなびく】の時季です。
春は大気中に水滴や細かな塵が増え、山々に霞がかかりぼんやりと見えます。このような春の霧は古来より霞(かすみ)と呼ばれ、人々は自然現象からも季節の移ろいを敏感に感じとっていたのです。そしてやがて訪れる季節に備え、農耕の準備にとりかかっていました。

立春につづく二十四節気の2番目「雨水」は、文字通り、雪が雨へと変わり、氷がとけはじめる頃をいいます。
平均気温は徐々にではありますが上昇し、昔から農耕の準備を始める目安とされてきたのが「雨水」です。
前回は、仏教のことを「甘露の法雨」といわれることを通して、少し「因果の道理」という仏教の教えにもふれてみました。
しかし、仏教ときくと「宗教はいやだ」と拒絶する人も少なくありません。
このブログは、現代人に忘れられてしまっている季節の言葉と仏教の教えを紹介して、心にうるおいを、日々にうるおいを、という趣旨ですが、しばらく「古来、日本人にとって宗教とはどういうものであったか」を語ってみたいと思います。
私たち日本人は、「宗教」と聞くと、仏教・キリスト教・イスラム教が三大宗教で、これらは結局は同じことを教えられているのだろう、と思っています。
さらに、地下鉄サリン事件などで世間を騒がせたオウム真理教のような新興宗教も「宗教」だと思っています。
ひどい人になると、とにかく「宗教」と名がつくと、「アブナイもの」と思って近づこうとしません。(昨今の宗教団体がおこす数々の事件を見ると、実はそれがある意味賢明なのかもしれませんが…)
インテリを自負する人でも、「私は特定の宗教は持たない主義だから」と、“無宗教が一番いい”と思っている人がほとんどではないでしょうか。
読者の皆さんの中にも、あるいはそう思っておられる人は少なくないかもしれません。
しかし「その考えは世界では通用しない」ということも知っておかねばならないでしょう。
国によっては、「私は無宗教です」と答えた瞬間、あつかいや態度が豹変するとさえいわれます。何の信念も、行動の規範も持たない人だと思われてしまうようです。
ちょっとたとえは合わないかもしれませんが、「好きな芸能人は?」「好きな音楽は?」と聞かれても、「何もありません」と答える人に、皆さん魅力を感じますか?
私は、仏教を専門に学ぶものとして、せめて日本人ならば、仏教とは何を教えているものか、古来日本では宗教とはどのようなものを指して言われたのか、自分が信じなくても一応知っておくべきではないかと思い、おせっかいながら述べさせていただきます。
…ということで、長くなりましたので、今日は前置きだけで終わります(汗)
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