【コラム6】言語学者もビックリ!

こんばんは☆

仏教に魅せられた各分野の有名人、第3弾は言語学者。

まずは西洋の代表格・ソシュールから。

■構造主義の祖・ソシュール

ソシュール(Saussure,1857-1913)は言語学から記号学を確立し、文化人類学や精神分析などにも大きな影響を与えました。

中でも重要な業績の一つは、物事と言葉の結びつきは必然性がないことを明らかにしたことです。

これは当時の西洋人に大きな衝撃を与え、パラダイム・シフトを引き起こしました。

もともと西洋では「固定不変な実体の区別があり、言葉はそのラベルにすぎない」と考えていました。ところがソシュールはそれを逆転させてしまったのです。

例えば、英語では一つしかない「brother」を、日本の私たちは「兄」と「弟」の2つに区別します。私たちが当たり前だと思っている「兄」と「弟」の区別が、絶対的なものでないことが分かるでしょう。

それを厳然とした区別があるように思うのは、言葉による錯覚にすぎません。

ソシュールは、言葉も私たちの認識も、すべて相対的なものであると明らかにしてしまったのです。

しかしそんなことは、仏教では2600年前からすでに常識です。

たとえば、「一切法(万物)は因縁生なり」(大乗入楞伽経)

「すべてのものは因縁によって生じ、固定不変な実体はない」ということですが、有名な古歌に「引き寄せて 結べば柴の庵にて とくればもとの野原なりけり」というものがあります。

元来「庵」というものがあるのではなく、柴(因)を結んで(縁)できた(生)ものを「庵」と呼んでいるにすぎません。

庵という固定不変な実体はなく、縁が離れれば庵はなくなってしまいます。さらには「庵」という言葉がなければ、私たちは柴を束ねたものを、庵とはとらえないでしょう。

仏教では当たり前のように言われていたことでも、西洋の人がそれに気づくには、実に20世紀初頭の天才・ソシュールの登場を待たねばならなかったのです。

仏教に魅せられた言語学者・東洋編は、

■丸山圭三郎

東大仏文科出身の丸山圭三郎(まるやまけいざぶろう、1933年~1993年)は、日本におけるソシュール言語学研究の第一人者にして、丸山言語哲学とも呼ばれる独自の思想を打ち出しました。

龍樹菩薩の哲学がソシュールの言語学を先取りしている、と大きくとりあげた初めての学者です。

「意識の深層における言葉の働きをヴァーティカルな視点から捉えていたのは、東洋の哲学者たちであった。この言語哲学の発祥は、およそ二千年以前にさかのぼることができるが、特に二世紀から三世紀にかけて活躍したインドの大乗仏教学者・ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』にもとづいて般若空観を宣揚した<中観派>の考え方は、ソシュールの思想を先取りしているとさえ思われるほどである。」(講談社現代新書・言葉と無意識)

また、天親菩薩の唯識学は、ソシュールのみならず、フロイトの先取りであるとも言えると主張しています。

「<中観派>とともにインド大乗仏教の二大系統の一つであり、ヴァスバンドゥー(天親)らによって唱道された<唯識派>においても、一切の現象が言葉によって妄分別された仮象に過ぎない、とする立場はナーガールジュナと一致している。しかし、現象以前の<空>から、現象的世界が意味化されて登場する仮定での深層意識の役割の大きさを強調する点と、その働きの根源に<アラヤ識>を立てる点が前者との主たる相違である。これはソシュールのみならず、フロイトの先取りでもあると言えよう。」(同じく『講談社現代新書・言葉と無意識』より抜粋)

丸山氏があげている龍樹・天親は、親鸞聖人が特に尊敬されて『正信偈』に七高僧として紹介しておられるうちの1人目と2人目のお方です。

私の学んだ心理学は、この二大巨頭の流れをくんでいます。難しくもありますが、必ずうなづける内容なので、いつかしっかりお話してみたいと思います。

それでは今日はこのへんで。

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